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「WEB拍手」 について 

申し訳ないです。
実は先ほど初めて「WEB拍手」がなんだか知りました。
拍手の際にコメントを頂いていたことにも、Blog開設以来、たった今気付きました。

拍手とコメントを頂いた皆さん、ありがとうございます。

そしてコメントまでして頂いた家族被害者の皆さんへ。
被害に遭っているのは、皆さん一人だけではありません。
直接の支援はできませんが、皆さんが受けた今までの苦しみ、矛盾、やるせなさ、葛藤は私や同じような被害者、反苑活動をしている皆さんは理解しています。
決して一人だと思わないでください。

こんなくっだらない宗教のために私たちが苦しまなくてはならいことなんてありません。
どうか歯を食いしばって前を見て、負けないでください。
負けたと思わなければ負けではありません。
こんなくっだらない宗教如きに負けて生きていくなんて、人生勿体無いです。
負けなければきっと勝てます。

吐き出して少しでも楽になるのなら、どうぞこのBLOGのコメントや掲示板、メールフォームをお気軽にご利用下さい。

一括でのお礼になりますが、もう一度。
拍手、コメントを頂いた皆さん、励ましをありがとうございます。
Blog運営の励みになります。
本当にありがとうございました。

そして、気がつくことが遅れたことを心から謝罪致します。
皆さんに強く、明るい、良い未来が待っていることを心から確信しています。

                             ブログ管理人 緋色 拝
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違和感の2

YAHOO知恵袋で、信者さんが「お助けができなくて、智流院にもずっといけなくて悩んでいる。」
(要約)という質問がありました。
導き親さんから、「いつになったら恩を返すのか?。」と叱責されているとも書いてありました。

信者さんからの回答もあったのですが、
「重荷に考えないで、例え結果が出なくても、種まき、語るだけでも良いんですよ。その方の幸せを心から祈り、悩みを聞いてあげる、優しく接する、温かい言葉をかける、それだけでいいんですよ。結果は後からついてきます。」
とのことでで、以前、別な質問での信者さんの回答で、「何事もするのではなく、”してさしあげる。”ものだ(要約)。」という言葉がありました。

一見、清く正しいことに読めますが、果たしてどうなのでしょうか?

第一に感じる違和感は、”おたすけしてさしあげる(へりくだっているようで実は上から目線)”ということです。
第二に、現世利益を求めない、ということなのに、何の種を播くのか?
ということを感じますし、私はこれらの考え方が全く理解できません。

例えば、悩んでいる友人や、大きな荷物を持って困っている人を助ける、電車で老人に席を譲る。
家族の食事を作る、掃除をする、世話をする、話す、遊ぶ、介護する、看病する。
今まで一度も「してさしあげる。」なんて思ったことはありません。
「たすけてさしあげる。」なんて一切思いません。
「やらなきゃ。」だけです。
結果として、”それが種まきになる”なんて応報は一切考えません。

これらの行為・行動に理屈なんてありません。
「たすける」「してさしあげる。」なんて以前に体が動いています。
全く意識していないか、もし意識したとしても、「●●のためにやらなきゃ、当然のことだもの。」です。
かといって、へりくだってやるつもりも、助けてやったんだから感謝しろ、なんてーのも思いません。
”当然のこと”で別にそれで何かを期待するわけでもないです。
もちろん、それで相手の助力になって良い方向に進めばいいなぁという気持ちはありますが、それこそ無為の行為です。

※「無為」=自然のままで作為の無いこと、もしくは仏教で因縁によって生成されたものでは無いもの。

状況の中で「助けなきゃ!。」と思ったり、意識的に自分に「助けてあげないといけない。」と決断を促すことはあれど、無意識下でやるべき行為のことを殊更大きく「してさしあげる。」と定義づけるのは、感触がなんとも悪いです。
そもそも、そこまで意識付けしないとできないものですか?
何がその行為を裏付けるのでしょうか?

自分が受ける側の人間なら、自然としてくれた行為に対して感謝しますが、「やらせていただく、してさし上げる。」なんてされたら、むず痒いですし、相手から「してさしあげる。」と思われるほど、私は上位の人間ではありませんし、その種まきの結果が、精進や修行に繋がって霊性を高めるって、信者さんが反苑者によく書き込む、「現世利益を求めているだけ。教えをわかっていない。」が当て嵌まりませんでしょうか?

”慇懃無礼”という言葉をご存知でしょうか?
私の大好きな広辞苑にはこう書かれています。
”うわべは丁寧なようで、実は尊大であること。”印象はまさにこれ、ぴったりです。

私は以前交際していた相手がいました。
体が弱くて小児喘息が大人になっても治らず、両親と折り合いが悪く、一人暮らしをしていました。
私は半同棲状態で看病や通院の手伝いをしました。
酷い時は、かなりの頻度で重度の発作を起こし、夜間病院に連れていきました。
「少しでも相手が楽になれば、苦しそうにしているのを見てられない。」
そんな気持ちだけで”してさしあげる”なんて思ったこともありません。

ある仏教系の新興宗教(真如苑では無い)の教徒さんが、私のこの事情を聞き、こう言いました。
「あなたは(喘息持ちの)相手に尽くすことで功徳を詰まれている。苦しい状況を助けることであなたはきっと救われます。」
へーそんなもんですか?
とも思っていましたが、でも、(喘息持ちの)相手にとっては「自分自身があなた(緋色)の苦しみそのものなんだね。」ということなのです。
※うっかり口を滑らせて喋ってしまったのです。
本人は好きで喘息持ちになったわけではありません。
遺伝や環境的なものです。
(そういや、これも信者親は、相手の先祖が悪くてって言ってたなぁ。)
因縁の話でいけば、相手は私の苦しみの因縁そのものです。
ですが、冗談じゃありません。
こちとら好きでやっているのです。
たすけてさしあげる、なんて思ったことは一度もありませんし、相手のことを、自分の苦しみの因縁だなんて思ったこともありませんし、自分の霊性アップ!なんて思ったこともありません。
相手にしてみたら、この苦しみは緋色と出会うための因縁だったってことで、納得いかないでしょう。
裏を返せば、緋色のせいで苦しむことになった、とも取れますよね?
私は相手を苦しませるために産まれた、なんて納得する人間がどこの世界にいるのでしょうか?
この状況で「してさしあげる。」なんて立場で接したら、相手は喜んで受け入れるでしょうか?
行為を受ける立場なら、自分自身が罪にしか感じませんが如何でしょうか?
結果として、相手を貶める心理行為ではないでしょうか?

話が横道にそれましたが、何が言いたいか?
おたすけや、たすける、なんて行為は無為にやるもので、意識的にやるものではない。
ましてや”精進”やら”勧誘数で智流学院入学権ゲットだぜ”という人参ぶらさげて、オオゴトにしてやるから、「おたすけしてさしあげる。」の心理の向こうにある、結局は勧誘者の現世利益=智流学院入学、霊性アップ、苑内での立場を上げたい、という欲望が透けてみえるから、慇懃無礼に感じるのでしょうし、繰り返し、周辺に優しく接して、種まきをする。」なんて、応報を狙ってやるべきものではないとも思います。
※「応報」=仏教用語で善悪の行いに応じて吉凶・禍福の報いを受けること。

これも、信者さんたちの思考パターンの一つです。
そして、私が違和感を感じる行為の一つです。

長々と垂れ流し文にお付き合いありがとうございました。

感じる違和感

反苑ブログの 反苑往復書簡ブログ さんの最近のこの記事ののコメントを読み以前から感じた違和感の正体が理解できました。

私は今まで伝統系の仏教、キリスト教の説話を聞きに行ったり、聞く機会がありました。

話の展開の詳細は省きますが、「~はこうでした。~はこのような意味で、だからこそ~なのです。」という話の展開の後、キリスト教の場合は「主はいつでも見ておられます。」とか「主の愛を感じてください。」と結ぶのです。
宗派の解釈に基づき、人を導いたり、救ったり、人生の示唆に富んだ内容の話です。

違和感とは何か?
直接私は苑の上層の説法を聞いたわけではなく、信者親や一部の信者と接した話からの判断ですが、真如苑と違って脅さないのです。
伝え聞く真如苑の話は基点を過去にして、「だから不幸になる、この先はもっと酷い不幸がある。」
というような展開なのですが、伝統系の仏教やキリスト教は「こういうことがあって、こうなると、こうなってしまう、その先は(結果としての)不幸がある、だからこうしなさい。場合によっては受け入れなさい。」未然に防ぐための心構えを教え、特にキリスト教では主は見てくれている、だから恐れることは無い、主が見ているから心を正しなさい。
仏教の場合は宗派によって多少の違いはありますが、やはり基本は不幸は受入れなさい。ですが、一見して苑の言うロジックは同じように見えますが、実は同調しているフリをしながら、より強い不幸への入り口を示唆して、より深く、より強く信仰するよう誘導しているように感じます。
実は信者の側に立っていないロジックでもあることに気がつきます。
信者を脅してどうするのでしょうか?
その先に見えるものはなんでしょうか?
何故、信者を包みマイナス方向ではなくプラス方向に進む示唆を聞けないのでしょうか?
信仰することによってより苦しむ方向に向くシステムの目的とはなんなのでしょうか?
出口はあるのでしょうか?
プロフィール

緋色

Author:緋色
親が真如苑に嵌っています。

私は親越し、直接会った他の信者さん、真如苑の事務員さん越しに接触した真如苑を疑問の目で見ることしかできません。
信者親や他の信者さんからは、勝手に無断入信させられたり、因縁を持ち出し、酷い目に遭う等と脅されたり、真如苑の事務員さんは
都合の悪いことは信者さんになすりつけ、無断で入信できるシステムを放置することも私は理解できません。
ですので、私はアンチの立場です。

更に細かい理由、事実の経緯はブログ内の記事を参考下さい。

信条として、ご先祖さんは自宅の仏壇に時々祈ったりお供えしたり、盆にお参りして一生懸命に人を騙さず生きていればそれで十分喜んでくれて供養になり、自分が死んでもこれくらいしてくれれば十分だと思っています。
自分が酷い苦しみと絶望のうちに死んだとしても、子孫に恨みつらみ苦しみは絶対に残したくない、、、。

幸せに生きて欲しいと心から願っています。

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