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真如苑と仏教

私は信者親や信者さんから「真如苑はお寺であって正統な仏教である。」「ちゃんとした仏教である。」と何度も聞きました。
私はどうしても真如苑=正統な仏教や仏教とは思えません。
長くなりますが、以下は私の個人的な見解です。

実際に私の信者親は「お寺に行ってくる。」と言って毎週末、苑に向かいました。
ネットで同様な被害の方のコメントを見ると”正統な仏教””寺”と言われた、、、と書かれていますが、本部は別としても、支部に行くと「これは寺っていうのは違うだろう。役所+会館だろ?。」ってのが個人的な感想ですし、勧誘された時に信者さんから”仏教”と言われて、さらにお寺と言われれば、受け手が真に受けてしまうと入り易く感じます。

私が最初に仏教関係の書籍に触れたのは小学生の時に読んだ手塚治虫さんの”ブッダ”が最初です。
手塚版シッダルータ(仏陀)の生涯で、最初から最後までシッダルータは苦しみ悩み、教えを広げようとしてする話(かなりの要約)でした。
各仏典とイコールかというと手塚さんの解釈も入っているので、まったく同じで正しいとは思いませんが、名著であることは確かだと思います。
※接心の妄言聞くより、そのお金をこれの購入にあてて読んだほうがずっと人生にとってマシです。
なにより他人に安心して薦められます(この点、かなりポイントですね!)

その後も何冊、、、というか結構な量の仏教、西洋宗教関係本を読みましたが、その中では中村元先生の訳書やテキストが一番参考になりました。
私の中の仏教の解釈はこの中村先生の本が礎になっているところがあります。
単なる興味も含めて新興宗教系では阿含宗の桐山さんの本や、創価学会の人間革命や、大川隆法さんの本も読んでみたりもしましたが、私の中で中村先生は別格です。
れっきとした宗教学者で宗教の哲学的側面と学術価値を説き、世界的にもしっかりとした評価を得られている方の著書なので、是非一読をお勧めします。

今回は真如苑に絞って書きますが仏教系の新興宗教はどこもツールとして仏教の名前を使っているだけで、どこも本来の仏教からしたら、大変疑問を感じますし、名詞が違うだけでどこの似たり寄ったりにしかみえません。
たしか仏教の逸話(?)で「同じ道を二人で歩むな、サイの角のように修行者は一人で歩め。」という一説があって、基本を学んだ後は、一人ひとりが自分の仏道を見つけだせ、という意味だと記憶と解釈しています。
この時点で私の定義では真如苑は仏教ではありません。

仏教の用語には釈迦の説いた四諦八正道という言葉が有ります。
大まとめすれば、苦難には理由があり、その解釈には方法論が有り、正しい「行い」をすればその「行い」の結果として救われるという考え方のはずで、修験で霊能力を得るというのは仏教の考え方からすれば外れていて、真如苑の言っていることは(信者親と私が接触した信者の言動ですが)、あまりにご都合主義で「苦」の存在を取り払う(因縁断ち)しているようでこの点でも私はアウトです。
ここでいう正しい「行い」というのは少なくとも霊言に従ったり、祈祷や護摩、お助けや歓喜のことではないでしょう。
そもそもHPに書いてありましたが、仏性を磨くってなんでしょう?
やってる行為は全く結びついてないと思いませんか?
現実、100%真実か?と問われれば自分の受けた経験上ほぼ真実だと思っていますが、他の被害者の方の記述をみると、被害を与える側の人間は正しい行いをしていませ。
勧誘や信仰によって回りが不幸になっているわけですから、それでは仏性を磨いているとはいえないですよね。

霊の話も解釈の問題もありますが、仏話で、誰かが(自分の)弓で射られてしまいました。
この弓を放ったのは誰か?というのを延々と考え続けついには死んでしまった。
犯人は誰だ!とか考えずに直ぐに抜くなり治療すればよかったのに。
という話で、死後のことだとか霊のことなど、目に見えないものについて考えるべきではない。
というのが基本の考え方だとも漠然とこの話で感じているので、やっぱりアウトなのです。
少なくとも私の認識では仏教外です。

解釈の点でうちの宗派はこう解釈している、、、という結果が今の伝統宗教の礎になっているのは事実です。
しかし自分達の宗派を危険な密教であると、あえて言ってるのを聞いたことありませんし、やってみなければわからないとか、5年10年たって良さが解る、、、なんてことを過去、言ってきたとは思いません、解りやすく一切衆生(分け隔てなく全てのものを)を救うという考え方で布教してたはずで、鎌倉時代の一遍様等もそうだったようです。
こう考えると、”やってみないとわからない仏教”ってのもこの点でもアウトです。
そもそもお釈迦様だって寓話をしたり、いかに解りやすく伝えるか苦心されていたのわけで、仏教に神秘性を求めてはいなかった筈です。
解釈の問題で逃げることもできますが、少なくとも私が接した信者さんには前述した内容を疑問としてを聞きましたが未だかつて誰も答えてくれませんでした。
って思っているけど違うの?と。
間違っているなら間違っているで指摘してくれる?とも。
でも答えは無く、ただ切れるのみです。

仮に本当の仏教だとしても、まわりの家族に迷惑かけて、家の金を使って、強制的な入信や無断入信をほかしておいて、安く細かく金を徴収して、人の不幸に漬け込んで妄言を吐き出し、弱っている人を一層苦しめ縋らせ、泥沼にしておいて、「苑は信者間、信者と家族間にの問題は一切タッチしない。」、「お助けしてあげなさい。」これではこの時点で信仰に足る物では私にはありません。

被害者の皆さん、絶対にここは仏教じゃありません。
自称です。
入信願いもわざわざ「精進届け」なんて書式に変えてるあたりは確信犯だとしか私は思えません。
YAHOO知恵袋でも「ありがたい仏像を拝観するために入場確認のためにこれに書いてくれ。」と言われて書いたら入信になっていた、、、なんてこともありましたし、真如苑は仏教を隠れみのにしているわけです。

被害者の皆さん、、、仏教は本来、私達が真如苑や信者から受けているような状況を与えるものでは決してありません。

まっすぐ前を向いて、歯噛みしながらがんばっていきましょう。
人生山有り谷有りです。
苦しみも喜びも全部自分のものだと思うのです。

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被害とは?

被害とはなにか?
改めて考えてみました。

”被害”という言葉を手元の辞書で調べると”損害をこうむること、危害を受けること、また受けた損害”という意味だそうです。
では、”損害””危害”はどうでしょう?
損害=損ない傷つけること、不利益を受けること、損失。
危害=命または体を損なうこと、また、その危険と損害。
損失=損なうこと、利益を失うこと。
とのことですので、何か精神的でも物理的でも損なったことがあれば被害だと私は判断します。

真如苑から何を被害として受けたのか?
逆に言えば真如苑と関係しなければ受けなかった被害とは何か?
そもそもこの記事を書いた理由ですが、ある言葉がずっとひっかかっていました。
立川の本部に電話した時に男性事務員の言った言葉、「苑では信者と信者家族、信者同士のトラブルは一切関係ありません。」
YAHOO知恵袋で信者らしき方の回答でこういう言葉がありました「一部の信者がやっているだけで、他の信者や真如苑はまともだ。」
「根拠の無い誹謗中傷だ。」実際に私が出会った信者親以外の信者の言葉「真如苑は優れた教えで、精進すれば幸せになれるんだ。」信者親の言葉「信仰しないから家は不幸せなんだ!。」こういった言葉の数々を考えると、苑にとっても、はまっている信者にとっても、私のような状況だった人間のことはそもそも”被害”を受けていると思っていないのではないでしょうか?。
ベースに「良い教えだから。」ということが頭にあるからこそ、こういう思考になるのでしょう。

少なくとも、家の親が信仰していなかれば、年間十数万単位での宗教がらみの出費はありませんでした。
少なくとも、家の親が信仰していなければ、信仰しないことで殴られることも、怒鳴られることもありませんでした。
少なくとも、家の親が信仰していなければ、親類、友人親、近所の方から長時間、勧誘で時間を割かれたり、嫌な思いをしたり、そのことを迷惑だと私に言ってくることもありませんでした。
少なくとも、家の親が信仰していなければ、おそらくうちの兄弟はうつ病にはならなかったと思います。

私は未成年でしたので、私自身には金額的な被害はありませんでしたが、家としてみたら、金銭的な被害、精神的な苦痛を被害を受けました。

苑の事務局にしたら、直接行動しているのは信者本人で、その人がそれでもうまくいっていないのは、本人の修行が足りないから、という逃げがあるわけです。

以前も書きましたが、私自身は嵌った親やどんどん嵌ってしまった部分には、信者親本人の性質もあったし、私達自身が猛烈に反対し、追い込んだことも一因だと思っています。
とはいえ、苑自体に責任が無いとはとても思えません。

信者親の行動は今の状況を変えるために、接心を真に受け、家族のほうを見ずに径親の言葉を真に受け、改善しようとした結果です、触媒として真如苑が存在しなければ発生しなかったことです。
手を汚さず、聞こえのいい言葉で指導し妄言を吐かれ続けた結果がこれです。

ですから、被害も損害も与えていない、という考えにはとてもなりませんし、逆にそういうメンタルで、「真如苑最高!。」と思いこんでいる相手とやりとりをしていかなくてはならない私と同じような境遇の方を知るととにかく自分自身が潰れないで欲しい、どうか、どうかうまくいって欲しいそう思うことしきりです。

どうか、私と同じような方、、、負けないで下さい。
それと自分自身で決して潰れないように、無理をしないようにしてください。
いざとなったら、全てシャットアウトして逃げてもいいんです。

そのためには根回しと後々のために資料作りが肝要ではないか?
そう考えます。

プロフィール

緋色

Author:緋色
親が真如苑に嵌っています。

私は親越し、直接会った他の信者さん、真如苑の事務員さん越しに接触した真如苑を疑問の目で見ることしかできません。
信者親や他の信者さんからは、勝手に無断入信させられたり、因縁を持ち出し、酷い目に遭う等と脅されたり、真如苑の事務員さんは
都合の悪いことは信者さんになすりつけ、無断で入信できるシステムを放置することも私は理解できません。
ですので、私はアンチの立場です。

更に細かい理由、事実の経緯はブログ内の記事を参考下さい。

信条として、ご先祖さんは自宅の仏壇に時々祈ったりお供えしたり、盆にお参りして一生懸命に人を騙さず生きていればそれで十分喜んでくれて供養になり、自分が死んでもこれくらいしてくれれば十分だと思っています。
自分が酷い苦しみと絶望のうちに死んだとしても、子孫に恨みつらみ苦しみは絶対に残したくない、、、。

幸せに生きて欲しいと心から願っています。

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